あさのさんへ
大変ご無沙汰しております。イシです。
父とのお別れに微妙に遠いところまでわざわざ来てくださってありがとうございました。
あさのさんやザッキーやのんちゃんが来てくれたときのわたしを見て、父が笑いながらサムズアップをしてくれたような感覚に包まれました。
父が物理的に私が暮らす世界からいなくなってから2ヵ月ちょっと経ちました。
父が亡くなった時に私の中に浮かんできた感情は「もう痛くなくなってよかった」とか「わたしの父はやっぱりかっこいいんだ」という感情だったり、闘病していた父と一緒に闘った相棒である母にむけての「お疲れ様でした」というものだったから、「さみしい」というものではなく、まさに『ただ物理的にいなくなってしまったけれども、感覚的にはいなくなったりはしていない』というものでした。
大学進学とともに実家を離れて暮らしていたので、気がついたら親元を離れて暮らしている時間の方が長くなっていたというのも物理的にいなくなったことに対してのさみしさをファジーにしている要因のひとつかもしれないと思ったりもしたりしたりするわけで。
「いなくなったりはしない」という感覚はあるけれども、母のことを考えると「物理的にいなくなる」というのはやっぱりとてもさみしいものなんだろうなと思ったりしています。
父の病気がわかってからは足しげく自分のために実家に帰っていたけれども、父が亡くなって一人と一匹になった我が家にはやっぱり足しげく帰ろうと思っています。
ということでやっぱりみんなでキャンプにいきましょう。実家の近くのほったらかしキャンプ場。
プランはお任せください。雑にくんで雑に指示します。
そうだなぁ、ちょっと寒い方がいい気がするから10月あたりどうですか?
なんだったらみんなのキャンプコーディネートをいれてキャンプの記事とかにしちゃったりして。
テントが足りなかったらもうわたしの実家に泊まりましょう。
母もあさのさんに会いたがっていたし、なんだったらもういっそのこと実家の庭でキャンプしたらいい。
自分のたいせつなひとたちが一緒にいるの、わたしたまらなく好きなんですよね。それはわたしの父と母がそうだったからっていうのもあるかもしれないですよね。
とにかくわいわいしましょう。
早々に、泥酔してもザッキーがいたら大抵大丈夫です。
よし、決まりですね。10月あたりで行きましょう。
母は父のいない生活になれてきたのかな?一人と一匹になった実家を想うと手の指がじんじんするような、さみしいようなかなしいような、応援するような、なんというか不思議な気持ちになります。
ちなみに、去年実家にやってきた犬は父により「バディー」と名付けられました。母の物理的で感覚的な相棒役は今年父から小さな白いトイプードルに引き継がれたわけです。
父がいなくなっても母にとっての感覚的な相棒は父だと思うんですけどね。
バディー!たのんだよ!
10月にみんなでいくからそれまでにちょっと落ち着いといて!
イシより
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